小学校の書写(習字)の授業は意味がないかもしれない…。の巻
先日購入した美文字本に興味深いことが書かれていました。それは、現在の書写の授業の矛盾についてです。共感する部分があったので参考にしつつ自分なりに考えてみました。
大人たちにアンケートを取ると、『字を書くのが苦手な人』は80%を超えると言います。当然、毛筆を扱える人はごくわずかです。
・・・おかしい
日本人は小中学校で書写(習字)の授業を受けているはずです。
書写の授業は国語の一環で、『文字を正しく整えて読みやすく書くことができる』事を目的としています。
しかし、人生において書写の授業は全く生かされていないのでは無いでしょうか?
毛筆を使う事
書道の上達を目的としたとき、2つの要素が重要になります。
それは
・字形を整える
・毛筆を使いこなす
です。
これは、楷書・行書・草書・隷書・・・どの書体でも共通です。
いくら字形をとらえることができても、毛筆が使えないと良い作品にはなりません。いくら毛筆を自在に操れても字形が悪ければいい作品になりません。
きれいな字形だけにこだわった場合、毛筆という道具は別問題になるのです。
書道の練習
書道の練習は、基本的にお手本の真似です。古典を臨書する場合も同じで、まずは形を真似る形臨から始めます。
作品の思いをくみ取り自分の解釈で書く意臨は形臨ができることが前提です。
小学校の授業の場合、45分間で1~4文字程度お手本を真似するように練習します。
先生ですら使いこなせない毛筆で、漠然と1~4文字の真似をさせていると考えると、何の意味があるかがわからなくなります。
字形の整え方がある
これはあまり語られませんが、字形は整え方があります。
日本は九成宮醴泉銘、中国では顔真卿を元にしていますが、字形には理論だった整え方があります。
縦画同士の関係、
横画同士の関係、
縦画と横画の関係、
偏と旁の関係、
・・・
・・・
細かい項目はたくさんありますが、絶対基本は3つ程度で、小学生でも理解できるほど簡単です。感覚的には算数に近いです。
この整え方を知っていると、お手本が無くてもそこそこ書けるようになるのです。
書道をやっている方なら、この理論を知ったうえで臨書をすると上達が早くなります。
毛筆と決別の時
字形の整え方を小中学校で学びますか?
意識の高い先生なら教える場合もあるかもしれませんが、ほとんどの人は経験が無いと思います。
書写の授業が芸術や文化として教育する分には問題ありませんが、『きれいな字形』を目的とするなら、やめてしまった方が良いでしょう。
習得が困難な毛筆はやめて、きれいな字形だけに特化して教えた方が良いです。
毛筆書写から鉛筆書写への転換です。
間違いなく『字を書くのが苦手な人』は80%より良くなると思います。
今や毛筆は特別な道具
今の時代、普段の生活をしていて毛筆を持つ機会は皆無です。
お葬式も芳名カードにボールペンで記入が一般的です。結婚式の芳名帳や熨斗袋へ筆ペンで書くくらいです。
普段から毛筆で書いていない人がいきなり毛筆を使いこなせるわけがありません。
今や毛筆は特別な道具なのです。
小学校の書写のわずかな時間で習得できるわけがありません。綺麗な字形すら教えられないのなら時間の無駄ということになります。
伝統文化は残したい
これは毛筆を否定するわけではなく、住み分けと効率の問題です。字が苦手と感じる人が少なくなることが目的です。
どんな字がきれいな文字なのか判断できない人が増えている事実もあります。
正しく美しい字を書けるという事は、きれいな字を見極める感性も磨かれるという事で、文字に美を見出す日本人の伝統を守る事にもつながります。
特別に毛筆を学ぶ人は別枠で増やす努力をすればいいのです。
これまで僕は書写の授業時間を増やし、たくさんの子供に書道に触れてもらいたい。と、単純に思っていました。でも、そんな簡単なことではありません。
真に『みんなが綺麗な字になってもらいたい』と考えると、毛筆はとても非効率なのです。
今後、書写教育がどのような道をたどるのか?期待と不安がありますが、これからも注視していきたいと思います。
今回のお話は賛否あると思います。他愛無い1つの意見として捉えてください。
おわり
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